オンギロン 171【ドラマ用の日本語 7】

- 実は「定番」-

 ……というわけで、「演技=行動(リアクション)」なのですが、残念ながらこの等式は私が発見したものではありません。

 80年くらい前に『スタニスラフスキーさん』辺りが言い始めて以来、

『リー・ストラスバーグさん』『アドラーさん』に継承されて「定番」となり、近いトコだと 故永井一郎さんが『朗読のススメ』という本の137ページ辺りで語ったりしておられます。

 つまり、

「演技の世界」では定番とか定石と言っても良いくらいの基本中の基本なのです。

 ところが、

 どういうわけだかこの「基本」を教えている「声優養成所」はあまり多くありません。その理由は?

 恐らく「演技」以前に「日本語」や「呼吸法」のできていない入門者が多すぎるからでしょう。そうした基本以前で停滞している内に1年くらいあっと言う間に過ぎてしまうから、肝心の「演技の基本」に到達できないのかもしれません。「原始時代」から始めちゃうから「現代史」につながらない「日本史教育」と似ています。


- 声優と俳優が違う点 -

 頭に「声の」が付こうが付くまいが、「演技」は「演技」です。

 ですから声優も俳優も仕事は同じ、「行動」です。

 ところが、

「声優」には「マイクの前から移動できない」というキツい制約があります。演技の基本である行動そのものが制限されているのです。

 例えば「走っているシーン」の場合……

 普通の俳優だったら本当に走って、本当に息が荒れた所を音声さんが録ってくれますから「演技」としては簡単な方に入ります。しかし「声優」は?

 走る事ができません。当然「息」も荒れません。

 ただハアハア息をしただけでは走っている感じにならないから、呼吸をちょっと絞って口内に当てて「荒い息」を作り出すというギミックを施さなくてはなりません。

 そういうギミックまで盛り込んだ「行動」の連続を、マイクから数十センチ、角度にして15度くらいの範囲内で、しかも前回説明した「順録り、長回し」の段取り内に詰め込んでいかなくてはならないのです。


「声優養成所」に入って初めて「セリフ」と言うものをしゃべってみて、自分の言葉がそのままでは「セリフ」にならないと知った時、「声優志望者」のほとんどは驚愕します。

「声優になりたい」という願いを込めて「台本」に印刷された自分のパートを読み上げさえすれば、それが「セリフ」になって、聞いている人たちの胸に響くものだと思い込んでいたからです。

 中にはそうやってササッと養成所を済ませて「来年の2月の査定に通って4月までには事務所に所属して声優になっている」なあんて綿密な計画を立てている人までいるのですが(けっこう多い)、大抵は「遠大な目標を掲げては毎年失敗」という地獄ループに陥っています。

「自分の能力」が試される場で、「自分の能力」に対する評価を加味せずに先の進行スケジュールを決めてしまうなんて、「声優」と言う仕事が見えていない証拠です。


- 見えないルール「ドラマ語」-

 初心者が初めてアフレコ実習に取り組むと、ほとんどの人は途中で追いつけなくなります。追いつけなくなってしまう原因の大半は、「ドラマの流れ」という「見えないルール」が見えていないせいです。そりゃあ確かにコースが見えていなければ全力疾走する事などできないでしょう。

 全体の見えていなかった視聴者が、自分に見えたごく一部分だけを「声優全体」だと思い込んで「志望」してしまった時、長い長い悲劇が始まります。

「きっと声優さんっておしゃべりが好きな人がなるんだろうなあ」と勝手に思い込んでしまった視聴者が、「私もおしゃべりが好きだから」とか「私がしゃべる言葉を大勢に聞いてほしいなあ」というお門違いな願望を声優という職業に託してしまった時にも長い長い悲劇が始まります。

 こうした悲劇を回避するにはどうすれば良いのでしょう?

 見えている部分だけで決めない事。そして、何も予定しない事です。


 ただしゃべっただけで「セリフ」のように聞こえる「セリフ」なんてこの世にはありません。あなたの気持ちを込めたってダメです。「役」の、何かや誰かに対する「リアクション(行動)」を再現した上でしゃべらないと、生きた人間が話しているようにはならないのです。

「声優の魅力」と言うと多くの人々が「声の魅力」に気を取られがちですが、少なくとも「プロの声優」を目指すんだったら、人々が実際に魅了されているのが「声質」だけではない事に気がついておいてください。

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